2008年8月26日火曜日

愚かな県境争い 百四十年 もらい損ねたよ



愚かな県境争い 百四十年の損失

 ●十和田湖畔の休屋入口の小さな川が青森
県と秋田県の県境だと教えられ、またいだり
はしゃいだりした記憶がある。一方で先送り
になっていた、対岸の境界問題がこのほどよ
うやく決着がつくと聞いた。永年の課題が解
決したと賞賛する向きもあるが、失われた百
四十年はあまりにも大きい。ここまで迷走し
てきたことを、関係者はむしろ恥じるべきだ
と思う。
 ●十和田市の試算では平成二十一年度の市
への交付金は二千二百万円で、青森県・秋田
県・小坂町・十和田市への合計は六千万円か
ら七千万円だとか。問題なのはこの交付金は
過去の分が支払われないという点だ。
 ●実は六十三年と六十四年に両県は「暫定
合意」し交付金を受け取っているが、二年間
だけで暫定を破棄した。仮に今日まで継続し
ていれば何十億という交付金になる。取らぬ
狸の…だが、百四十年ものあいだ「くれる」
という交付金を内輪もめでもらい損ねていた
のだから、モッタイナイ話だ。
 ●すったもんだしても今回の合意案は四十
五年前とほぼ同じだとか。政治家でも公務員
でも大切なことは住民の幸せのための「大局
観」だ。「兄弟げんかしているならあげない
よ」と、漁夫の利を占め続けてきた国の高笑
いが聞こえないか。

2008年8月23日土曜日

あおもりけん アオモリケン こだわりが首を絞める




青森県産品への こだわりに疑問

 ●弘前市のリンゴ加工業者による偽装表示
問題で実施した同業五十九社の自主点検結果
が公表された。県は対象を食品製造業全四千
五百社に広げ、さらなる適正表示の指導・啓
発に乗り出すという。私はいささか「あおも
り」にこだわり過ぎではないかと思う。

 ●十和田湖休屋の土産物店のほとんどは青
森県に位置するが、並ぶ商品の半数以上は秋
田県産だ。「青森県産かしら」を基準に品定
めするお客さまは見かけない…と親しい経営
者は言う。観光客の欲しいのは「十和田湖み
やげ」なのだ。

 ●品質は良いのに知名度が低い。実直だけ
ど商売が下手だ。こうした弱点を克服する手
として「攻めの農林水産業」は有効だと思う
が「決め手は青森県産」となると疑問だ。函
館の知人いわく「まるで北海道が劣っている
みたいじゃん」と。

 ●六月に三村申吾知事が、県産食材だけを
使用した「自給率118%の五品ランチ」を
食べていた。自給率1%の東京都のランチは
「野菜スープ一品」だが、こうした「比較プ
レゼン」は相手の神経を逆なでする。四十七
都道府県にはそれぞれ特徴があり、お互いに
得意な産業で補い合っている。「青森県産も
良いよ」くらいの気持ちで行きたい。

2008年8月4日月曜日

若者が 青森から 逃げていく




青森離れの原因 心当たりがある

 ◇私が子どものころ、お年よりは百人中四
人で貴重な存在だったが、今では二十四人も
が六十五歳以上だというからお年よりだらけ
だ。その青森県の人口が今年百四十万人を割
り、半世紀前の水準に戻ったという。三村知
事は人口減は全国的なものだ…と言うがそれ
で良いのだろうか。私には青森から逃げてい
く県民の心が見える。
 ◇高齢化社会を支えるのは若い世代だ。運
よく相手に恵まれ結婚できても、子どもを産
む病院がない。子育てに欠かせない小児科医
が足りない、麻酔科医の手配がつかず手術も
できない。いやそれ以前に仕事がないから食
べていけない。県内の事業所数と従業者数は
この五年間でともに8%減っている。
 ◇上北・三沢・十和田方面では原子力産業
が数字を支えているとは言え、私の知人のほ
とんどは「喜んで従事している」のでなく「仕
方なく」だ。都会のスーパー店頭で攻めの農
林水産業やクリーンな農水産物をアピールす
る一方で、全国のテレビや新聞では「高レベ
ル放射性廃棄物ガラス固化体トラブル!」の
ニュースが流れる。   
 ◇団塊の世代を移住させる…とか、わが子
や孫を定着させる…とかの決め手は何だろう。
豊かな自然か、美味しい食材か、優しいもて
なしの心か。それとも「原子力産業と共存す
る青森県」だろうか。

2008年8月3日日曜日

十和田市 教育福祉プラザ 設計審査レポート




プラザ審査で見えた
やる気のない人びと
        
 (仮称)教育・福祉総合プラザの設計者が
東京都の㈱梓設計に決まったが、二十七日の
公開審査を傍聴し政治家や公務員のやる気の
無さにがっかりした。このプラザは老朽化し
た市の六施設や社会福祉協議会を統合整備す
るもので、立地場所や機能など基本構想は市
民参加型で進めてきたが、肝心の設計者選定
の段階で主役が不在なのだ。

 市民の代表は市長だ。市民待望のプラザの
設計を希望する六者を、自分で見比べ確認す
る気はないのだろうか。私が市長なら側近や
有力者に声をかけ「一緒に聞きましょう」と
会場に誘う。もし市民から「なぜその業者を
?」と聞かれた時に「審査委員会に任せたか
ら」と言うのだろうか。

 市民の代弁者は市議だがこんな大事なプレ
ゼンを聞きたいと思わないのだろうか。私が
市議なら支援者や家族を連れて聞きに行き、
終わってから感想や意見を交わす。見もせず
市長に意見を言えるわけがない。

 市民の公僕(古い表現で失礼)は職員だが、
直接かかわる五人のほかは関心が無いのだろ
うか。私が職員なら勉強のために自主的に聞
きに行く。そもそも教育と福祉に関係しない
職員なんているわけがない。

 審査委員の構成にも疑問がある。このプラ
ザについて市長は積極的に市民を参加させて
きたが、審査委員は大学教授二名・高校教師
一名・市役所部長二名の五名で市民はゼロだ
った。ここからが大事なのになぜ市民を参加
させないのか理解できない。私が市長なら専
門家二名・職員二名に利用団体から二名・議
会から二名・市民公募で二名を加え十名で構
成する。

 会場にテーブルが無いのにも驚いた。プレ
ゼンは四時間の長丁場だし資料も多い。熱心
な人ほどペンを走らせるのだが、ひざの上で
は不便きわまる。記者も難儀しており気の毒
だった。会場の設営はおもてなしの心得が要
る。六事業者や審査委員の接待で手一杯だっ
たとしたらお粗末だ。

 電源交付金の市民委員会では「お願い」し
て傍聴が許されたが、席には一枚の資料も配
布されなかった。それに比べれば改善と言う
べきかもしれないが…。

 主役の市民が尊重される道は険しいが、オ
マカセ市民にも責任がある。市民が厳しい目
を持つことも大事なので、いま政務調査費の
分析に取り組んでいる。