2009年3月27日金曜日

ミサイルの危険 深刻にとらえよ



 北朝鮮のミサイル問題だが、私たちはもっ
と緊張すべきではないだろうか。北朝鮮の通
告通りなら日本に落下する可能性は非常に小
さい…と河村官房長が言ったが、あの国の通
告を信ずる根拠はどこにあるのだろう。

 通り道にあたる東北各県の危機管理担当者
が集められ、二十五日に東北防衛局が説明会
を開いた。非公開だからさぞかし突っ込んだ
対策が…と思いきや、報道で旧知のことばか
りで参考にならなかったと聞く。

 コントロールがちょっとでも狂えばわが県
にも被害が及ぶのに、県知事からは県民への
メッセージが無い。三沢基地に加え車力レー
ダーも配備され、わが県は北朝鮮を刺激する
存在になっているし、原子力発電所も再処理
工場もある。かの国から見れば、青森県は格
好の獲物に見える。

 北朝鮮が通告した「日本には実害を与えな
いプラン」を信じ切っているかのような姿勢
は大甘だと思う。万が一でも万々が一でもと
んでもないことなのだから、県知事も県議会
ももっと大声で危機を叫ぶべきだと思う。

 JCOの放射能事故が起きて、やおら騒ぐ
がまた静まる。国民が拉致され主権が損なわ
れても尻すぼみになる。ミサイルで国土を犯
されても「衛星実験のミスだ」と言い張られ
泣き寝入りするのだろうか。

2009年3月19日木曜日

裁判員制度 素人に読めるか この長文・難文




読むだけで大変 裁判員は難しい



裁判員制度の啓発・宣伝が日に日に活発に

なっている。食わず嫌いと言われたくないか

ら研修会には積極的に参加し勉強したが、は

じめに導入ありきだから、関係者にいくら疑

問を投げかけてもノレンに何とかだった。



新聞もこのごろ、読者に裁判員制度を考え

させるような記事が増えてきた。八戸の母子

三人殺害事件もそうだ。十九日には検察側の

論告と弁護側の最終弁論をそれぞれ要旨とし

て載せた。両論とも六千字前後にまとめてあ

るのは、公平さに配慮したのだろう。



記者の苦労を思いながら端から読んでみた

が、息が続かない。読み慣れない言葉が並ぶ

のですらすら進まない。考えながら読むので

行きつ戻りつになる。論告を読み終え休憩し、

弁論に挑むが、今度は論告とのズレが気にな

り赤ペンが必要になった。結局二時間もかか

ったのだが、頭が混乱し整理がつかない。こ

れを裁判所でやれというのだろうか。



活字に慣れ親しんでいる人は別として、こ

の長文にたじろぐ人も多いのではないだろう

か。裁判員の採用にあたっては「理解する能

力」と「参加する意欲」の二点を基準にすべ

きだ。難解な議論を理解出来ない素人が、他

人の命や量刑を決めるというこの制度。裁く

にせよ裁かれるにせよ私はイヤだ。

2009年3月11日水曜日

駅前に固執せず 郊外に中心地を



 
駅前に固執せず 郊外に中心地を



温泉はいい、特に露天風呂は大好きだ。の

ぼせないから長湯が出来る。昨日は真っ黒い

お湯で話題の隣町の温泉へ出かけたが、露天

風呂で青森市からの年配者と長話になった。

青森駅前開発や新町商店街に話題を向けたら

やたらと盛り上がった。



駅前一帯は狭くてふだんでも道路が混むの

に、これ以上施設を貼り付けたら大変だ。駐

車場も不便な新町商店街にわざわざ出向く理

由がない。市役所の出先をつくるなら郊外の

ショッピングセンターにつくってもらったほ

うがよっぽどありがたい、と明快だ。



私は青森東高校の二回生だが、自転車で堤

橋を渡るとワクワクした。下宿暮らしの私に

とってはそこから西が中心街で、用もないの

に新町をうろうろしたものだった。そのころ

線路の南は閑散としていた。あれから四十年

青森市は大きく成長し変化した。



くだんの年配者いわく、青森駅を旧国鉄操

車場跡の青い森セントラルパークに写しそこ

を市の中心にすべしと。帰宅して航空写真を

眺め合点がいった。その緑の地はまさに青森

市街地のど真ん中にあるではないか。四月に

はちょうど市長選がある。大事な論点のひと

つとして市民が考える好機だ。