

読むだけで大変 裁判員は難しい
裁判員制度の啓発・宣伝が日に日に活発に
なっている。食わず嫌いと言われたくないか
ら研修会には積極的に参加し勉強したが、は
じめに導入ありきだから、関係者にいくら疑
問を投げかけてもノレンに何とかだった。
新聞もこのごろ、読者に裁判員制度を考え
させるような記事が増えてきた。八戸の母子
三人殺害事件もそうだ。十九日には検察側の
論告と弁護側の最終弁論をそれぞれ要旨とし
て載せた。両論とも六千字前後にまとめてあ
るのは、公平さに配慮したのだろう。
記者の苦労を思いながら端から読んでみた
が、息が続かない。読み慣れない言葉が並ぶ
のですらすら進まない。考えながら読むので
行きつ戻りつになる。論告を読み終え休憩し、
弁論に挑むが、今度は論告とのズレが気にな
り赤ペンが必要になった。結局二時間もかか
ったのだが、頭が混乱し整理がつかない。こ
れを裁判所でやれというのだろうか。
活字に慣れ親しんでいる人は別として、こ
の長文にたじろぐ人も多いのではないだろう
か。裁判員の採用にあたっては「理解する能
力」と「参加する意欲」の二点を基準にすべ
きだ。難解な議論を理解出来ない素人が、他
人の命や量刑を決めるというこの制度。裁く
にせよ裁かれるにせよ私はイヤだ。
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